マドリングスルーな日々

どうにかこうにか過ごす日々の中で考えたことなど

自宅学習チェックの定量化?

突然だが、長男は中学1年生だ。

本人に漠然ながら目標があることも有り、自宅でもそれなりに勉強を行なっている。(自分の時に比べれば信じられないほど。)

 また、学校側は、自宅での学習をどの程度行なっているのかチェックしたいようで、簡易な学習内容と学習時間を日次で報告させ、結果に対して先生からの指摘などが入る。

 それに対して、週次で親が内容をチェック、コメントを行う仕組みになっている。

 その事自体は、まわりに勉強を阻む誘惑が多い環境の中、誰かに見られていることで何らかの歯止めがかかる効果があると理解できる。(まだ自制が難しい中1という事もあるので)

 ただ、1点気になることが有る。

先生からの指摘の多くが、学習「時間」が少ないと言った内容で有ることだ。

 仮に、本当に仮に、学習の目標を定期テストでの高得点(範囲内の学習内容の理解)だったとする。

(これに関しては、目的がずれている(そもそも勉強の目的とは?)様な気もするが、それは別の話なので)

 その際にチェックすべきは学習「時間」ではなく、学習「内容」なのでは無いだろうか?

時間さえ多ければ良いと言う風に捉えることが出来るが、まるで、仕事の出来無い人が残業を行った事で頑張っていると評価される会社のようだ。(多くの会社がそのような風潮になっていると…)

※自分が仕事が出来ると言っている訳では無い。

 恐らくだが、1クラス全員の内容をチェックするにあたり、ある程度の定量化を行ったチェックとしないと時間が掛かって仕方がないからだろうと推測する。

 で、容易に定量化出来るのが「時間」と言うわけだろう。

 こうなると、時間を掛けずに理解出来る子に対しても、時間が少ないと指摘し、場合によっては必要のない(無駄な)時間を過ごさせることになりかねないのでは?と思っている。

 例えば、学習内容の報告を詳細にし、定性的に判断することで、先生側からの具体的な学習方法に関するアドバイスが有るのが理想では無いだろうか?

(「hoge問題集xページ」や「教科書xページ分まとめ」など定量的な報告とさせる事も可能かと考えていたりするが。)

 と、ここまで書いて気づいたが、そもそもこの制度の目的を把握できていない。

最初に記載した内容は、あくまで推測で学校側から聞いた内容では無い。

 ひょっとしたら、間違った方向で解釈している可能性も否定出来ない。

 結果、何を言いたいかと言うと、うちの長男はそれなりに勉強している様に感じているが、時間で指摘を受け続けているのが気になると言った、過保護的な内容となっており申し訳ない。

 まもなく中間テスト。

結果がそれなりなら、一度、先生と話し合いの場を持ってみようかとも考えている。(結果が伴わなければ、「参りました」となりそうだが…)

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本日は以上!