マドリングスルーな日々

どうにかこうにか過ごす日々の中で考えたことなど

「褒める」と「叱る」の境界線

とある親子をみて思ったこと。

 

◆シチュエーション:

お父さんが右手に赤ちゃんを抱っこして、左手には、恐らくおむつ?をいっぱいに抱えて駐車場から出てきた。

その後ろからお姉ちゃん(多分、赤ちゃんのお姉ちゃん?)が走って追いかけてくる。

そこでお父さんが「こらっ!走ったら危ないやろ!」とお姉ちゃんをしかる。

駐車場の前は、それなりに大きめの道路なので、飛び出すことを懸念したと思われる。

その後、お姉ちゃんが「荷物持とか?」とお父さんに。

 

◆思ったこと:

端から見ているから気づけたと思うのだが、この場合、お姉ちゃんは褒められて然るべきでは無いだろうか?

推測しかできないが、恐らくお姉ちゃんは、お父さんが荷物一杯で大変そうだから走って追いかけて荷物を持ってあげようと考えていたように見えた。

単純に、なんて優しい子なんだろうと思った。

まぁ何れにしても、親御さんがしっかりしているのがお姉ちゃんに伝わっているのだろう。

 

それにしても、「褒める」も「叱る」も本当に難しい。

上記の場合は、端から見ているので気付けるが自分の場合でも同様の対応をしたのでは無いかと思う。

確かに、車との事故を防ぐために「叱る」のは最優先かもしれないが、その後の気配りに気付ける自分で有りたいとも思う。

 

ちなみに「叱る」と「怒る」は使い分けたいと思ってたりする。

「叱る」時は、子供の将来にとって何が有益となるかを考えた後に、方向転換が必要な場合の指摘であり、

「怒る」時は、単純に親の思い通りにならない事からの命令になっていると思っている。

頑張って「叱る」だけにしたいと思うが、弱さもあり「怒る」事も多々。

きっと「怒る」時には子供も矛盾に気付いてるが、力で抑えられる感じで言うことを聞いたりしているのだろう。(最近は子供側から矛盾を指摘されることも有り、成長を感じるが。)

 

「褒める」に関しても然り。

どのタイミングで褒めるのか?勝手に当たり前と思っていることは褒めるべきではないか?と考えたりする。

例えば、うちの子達は、ご飯の後に自分の食器をキッチンへと運ぶことを必ずする。

ともすれば、当たり前のように見えて結構すごいことでは?と思う。

気付いてからは定期的に褒める様にしているが、他にも同様の事があるかもしれないと思ったりする。(「それって凄い事やで」って伝えることで褒めていることになっていると思っているのだが。)

 

「褒める」も「叱る」も彼らの価値観を創造していると考えていて、なかなか責任重大な出来事だ。それらの価値観を礎に生きていくと考えると。

時々は思い返してみる必要があるかも。

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本日は以上!